2008年08月29日

SARZANAに入る前に

に行く前によったところがもう一箇所。ここの写真はなぜかないのですが。。。名前はCastelnuovo Magra。ここも山の上にある街。ここはここから程近くの海辺にある街、Luniの司教が住んでいたお城の跡があります。そしてこの辺を支配していたリグーリアの封建領主 Malaspinaとその司祭はこの土地をめぐって争っていたそう。そしてこの街は1219年には司祭側につくのです。Luniというところはエトルリア、ギリシャ時代から通商の要所の港だったの。それこそフランク王国のカール大帝(世界史ででてきましたねぇ。。。)が抑えたこともあった歴史的に重要な場所。たしかカッラーラで切り出した大理石もローマに運ぶためにここから出港したって、案内してくれたイタリア人が言っていたなぁ。そしてここはもうひとつ大事な役目があったのね。それはここをVia Francigenaというローマへの中世の巡礼者たちの道が通っていたの。ネコちゃんがいたPietrasantaの街にも通ってるんですけどね。これはイギリスのカンタベリーからドーバー海峡を渡り、ノートルダム大聖堂のあるランスを通り、国際オリンピック委員会のあるスイス、ローザンヌを抜け、アルプスを越えてイタリアに入り、ここを通って、サンジミニャーノ(にもあったのねそ。。。知らなかった。)、シエナを通り、ローマまで続く道だったのです。ただ、その重要さや、豊かさが海に近いことで仇になり、海賊に襲われることが多くなり、だんだん寂れていったとか。

さて、Castelnuovo Magraにもどって。ここにあるお城はそうやって力の弱くなったLuniの司教が、領主であるMalspinaに対して1306年10月6日に平和条約というか、教皇領としての終焉を承認したところ。なんとそれを取り持ったのがそのMalspinaを頼って追放されたフィレンツェから逃げてきていたダンテ・アリギエーリだったの!そしてこれをPace di Castelnuovoというんだそうで、残った城壁に記念の碑がありました。そしてその後、この地は独立した教皇領から、リーグリアのサルザナへ編入されたってわけ。

こんな小さな山間の町にこんな大きなドラマがあったなんて!歴史を知ってるとほんとに面白いね。お二人さん、連れてきてくれてありがとね。


これは和平をかの地にもたらしたダンテの詩。

« Ed elli: "Or va; che 'l sol non si ricorca
sette volte nel letto che 'l Montone
con tutti e quattro i piè cuopre e inforca,
che cotesta cortese oppinïone
ti fia chiavata in mezzo de la testa
con maggior chiovi che d'altrui sermone,
se corso di giudicio non s'arresta". »
(Dante Alighieri, Commedia, Pur.VIII, 133-139)









posted by yossy at 18:58| ローマ | Comment(0) | フィレンツェの喧騒を逃れて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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