2011年02月26日

Toscana, Umbria e Lazio 死にゆく町&またね編

二月ももう終わりです。あぁ、引越しできるんでしょうか。(爆)とりあえず今日の午後は最後のダンボールを詰める準備をしなければ。。。(汗)実はモザイクが一枚行方不明、そして自転車必須のマドバのカシミアはった手袋も不明。あぁぁぁぁ!!!!!な状況。とりあえずモザイクはなんとかもう一枚挙げる段取りをつけたけど、手袋はあったかくなったからいらないかなと思ったら、朝晩は零下にもどった先週半ば。とりあえず来週買いに行かなきゃだわ。(涙)

さて、Ameliaに行った後に今回の旅行の目玉(笑)「CIVITA DI BAGNOREGIO」へ。ここはガイドブックなどで「死にゆく町」と呼ばれる場所。天空の城ともよばれます。

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ちょうどAmeliaからCIVITAまでは一直線。高速度道路と鉄道をはさんでほぼま反対ってかんじで、一時間くらいでついたかなぁ。ちなみにそっちはラツィオ州なんですよね。ヴィテルボ県になります。途中はのどかな田園風景。道路沿いに、羊飼いにほっておかれた(笑)羊の群れが!!!子羊がたくさんいましてね。しかし、子羊がお母さんのおっぱい飲むときって、思いっきりおっぱいのある場所を頭突きしてましたよ!ちょっとびっくり。ああやったらジャーっとでてくるんですかねぇ。


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そしてこれが遠くから見るCIVITA。右側の山の上に塔がたってるやつね。その左側にCIVITAとBAGNOREGIOという隣!?町を結ぶ橋がかかってるんです。エトルリア人が2500年前に作ったといわれるこの町。そのときはこんな陸の孤島ではなかったのです。そしてオルビエートと並ぶくらい独立して繁栄していたそう。詳しく呼んでいないけれど、法王との関係も深かったのかしらね。イタリア語ですが、その辺興味のある方はこちらをご覧ください。(@A


しかし1695年と1794年におこった大地震のために、もともと粘土質の土地で土地が侵食されやすかったこともあって、CIVITAの周りが陥没、ほとんどの住人が町を捨て、現在では15人くらいの人たちが住んでいるそう。残った建物は、バカンス用として貸し出したり、イタリアのほかの場所に住んでいる人たちが同じくバカンス用として購入したりしてるみたいです。


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BAGNOREGIOの町のほうから「死にゆく町」と書かれた標識に従って歩いていくと。。。


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正面にみえるCIVITA。ちょうど夕暮れ時だったので夕日に照らされてなんとも美しくそびえていました。しかし朝早くにいっていたら、それこそ雲海に囲まれたそれはそれは幻想的な姿を見られたかもなぁ。。。ここに渡るための現在のセメントの橋(およそ300m)は第二次世界大戦後に作られたもの。実は1944年に侵攻してきたドイツ軍に破壊されたあとに再建されたものなんだって。あ、それと1867年に前の記事でも書いたけどイタリア統一を図るガリバルディ軍と法王の軍がここで大激戦を繰り広げ、1870年にここは「統一イタリア」国家に組み入れられたんだって。


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まるで大理石のような山肌でした。うねるようなこの地層と、ぽっかりと浮かぶ町。奇跡的に助かったってことよね。なんという偶然、なんという自然の不思議。しかしなんだってこんなに廃墟には猫が似合うんですかね。つーか、なんでこんなにやたら猫がいるんだろう。猫が出てくるたびに立ち止まってしまうんで、なかなか前に進めないっつーの。(笑)


夜はサスライ氏の師匠サルバトーレと、彼の甥っ子でサスライ氏とも働いていたことのあるヴィートがシェフをするレストランへ。まぁ、いろいろな昔話を聞いていたんだけど、子供もできてすっかりすっかり貫禄というか、やんちゃはやめたらしいヴィート。(爆)古きよき時代を共有した仲間がしっかり自分たちの道を歩んでいるのを見るのはいいもんですね。そして翌日はパトリアルカに別れを告げてフィレンツェへ。サスライ氏のヤボ用の間部屋にこもっていたあたし。彼が戻ってきて廊下をあるいていたら、忍び足で(爆)あたしたちへのお餞別を部屋の前におこうとしていたサスライ氏のことが大好きなパトリアルカの肝っ玉お掃除おばちゃん、フランチェスカ。部屋の前に来たところで、サスライ氏に背後から「なにやってんの!」と声をかけられ無残に計画失敗!(爆)みんなで大笑いでした。9年同じ場所にいるというのは、イタリアで修行をする料理人にしては珍しいことだと思います。とても流動的だし、なにより様々なものを吸収して独立するために来ている人たちが多い世界だからね。彼と同じく、他のホテルのスタッフもずーーっと変わらない。またいつ来るのか分からないけど、そのときも同じ笑顔と、同じ口の悪い冗談が待っていることを期待して。。。


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サスライ氏がその当時の同僚と植えた糸杉。種から植えた木がこんなに大きくなってます。次はもう木陰ができるほどになってるかなぁ?あ、糸杉だから陰は無理か。(爆)


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そしてあたしはこの旅行の記念を一つ作ることにしています。




posted by yossy at 21:09| ローマ | Comment(2) | フィレンツェの喧騒を逃れて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素敵ね・・・
っていう表現は適切ではないかな?
でも、イタリアでなかったらきっと既に死んでいた町だわよねっ。
どうにか生きているのが素敵♪
サスライシェフに一度お会いしたいわぁ〜
ブログはちょこちょこ読ませて頂いています。
只今、鹿児島周辺大変みたいだけれど、
とにかく、残りのフィレンツェを楽しんでねっ
Posted by たっち at 2011年02月27日 00:25
なんかいいよね。イタリアの田舎っていうのは、ほんとうにいいと思う。そこには豊かな自然とかと引き換えに厳しい環境や現代的なものからかけ離れたところがあるけど、人々はその環境に感謝して、プライドがある。それが今、日本の田舎に帰ってきて、そこに住んでいる人たちに足りないところだなぁと感じています。自分の住んでいるところを、そのいいところを、きちんと評価できない日本ってのは、そこにどこでも手に入れられるものが入るだけ入り、画一化され、便利だけど、伝統とかひっくるめて、人々のプライドとかも薄まってるような、ね。それって残念なことだと思うんだなぁ。。。


Posted by yossy at 2011年04月21日 09:08
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